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念仏と共に迎えたハタチ~Happy Birthdayの新たなカタチ~

2017/07/31 22:41 公開
profileうどん戦士

『大人になった瞬間、貴方は何をしていましたか?』『んーそうですね…確か…あぁ、木魚叩きながら念仏唱えてましたよ、浄土宗の総本山でね。』
いつか僕らが年老いた時、こんな会話をする時が来るのかもしれない。

京都は東山区、華頂山にある知恩院。浄土宗の総本山として名高いこの寺院には、日々多くの門徒や観光客が訪れ賑わいをみせている。

壮大な敷地に見所は数あれど、やはりなんと言ってもまず目を引くのは、入口にでんと構える巨大なこの山門だろう。

知恩院HP http://www.chion-in.or.jp/04_meiho/ken/san.htmlより


この門、正式な名称は「三門」という。一般的には寺院の門をして山門と言うのだが、

なんでもこれは空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しています。(http://www.chionin.or.jp/index.phpより)

とのことである。

確かに解脱の境地を表すだけあり立派な門で、高さ24メートル、横幅50メートルの巨大建築で、門に掲げられている「華頂山」の額は畳二畳分以上もの大きさがある。
この三門、二階建てで上層には貴重な仏像等も安置されているのだが、国宝に指定されており通常では非公開にされている。

見るな入るなと言われれば言われるほど、中を覗きたくなるのはヒトの性。
何とかして内部を見るチャンスは無いものか。

例外的にこの門の中に入る機会は、大きく分けて二つある。

一つは特別拝観や夜間拝観で、観覧料を払うと門の上に上げてくれる。ただし、仏像が安置されている二階の内部には入れず、外の廊下から覗くしかない。
そしてもう一つの機会は、毎年4月半ばに行われる『ミッドナイト念仏』という催しだ。

ミッドナイト念仏とは?


ミッドナイト念仏とはその名の通り真夜中に念仏を唱える催しで、三門の普段は入れない二階部分が一晩中解放されている。
参拝客はここに登り、好きな時間だけ木魚を叩きつつ、念仏を唱えるのである。
ちなみに無料なので大変ありがたい。

今年は4月の18日から19日にかけて行われ、筆者も体験させて頂いた。今回はその時の体験談を綴りたいと思う。

体験を綴る前に、何故、私はミッドナイト念仏に参加したのかを説明するべきだと思う。
私自身はお寺巡りは好きだけれど別に仏教徒ではないし、別に解脱して悟りを得たいと日々思っていた訳でもない。

では、何故そんな私は夜すがら念仏を唱えたのか。


突然話が飛んで申し訳ないが、皆さんは二十歳を迎える瞬間、どのように過ごしていたか、覚えているだろうか?

友達と楽しく飲みあかす?確かに賑やかで良いだろう、お酒も飲める年齢だし。
ただ、それはどっちかというと誕生日の日の晩にすることだ。

家族や愛する人とゆったり過ごす?それもなかなか良いだろう。
ただ自分は下宿生だし、現実は非情である。

家で一人で落ち着いて迎える?
今思えば良い選択肢ではあるが、何となく寂しくもある。

そこで私は考えた。
たった一度きりの二十歳の瞬間、せっかく京都にいるのだ、何か面白い体験をして迎えられないものか、と。

その時目に入ったのが、知恩院の『ミッドナイト念仏』の看板である。
私の誕生日は4月の19日、念仏は18日の晩から19日の朝にかけて。
私の中で何かが繋がったーーーこれだ。


京都でしかできない体験なのは間違いない。こんな催しは他所では聞いたことがない。しかも行われるのは一年でちょうどこの日だけ。他の誰にも追随される心配はない。そもそも木魚を叩く機会もなければ無料で三門の内部に入れることもそうない。

まさに一石二鳥、三鳥。まさに天恵。

これぞ私が求めていたCool!なハタチの迎え方だ!

こうして私は、二十歳の誕生日の始まる瞬間、つまり午前0時を、木魚を連打し念仏を詠唱しながら迎えるに至ったのである。

いざ念仏!


ミッドナイト念仏自体は20時から始まるのだが、流石に午前0時まで粘るには早すぎる、とのことで22時ごろに三門に到着した。流石に一人では寂しいので友人と二人で向かうことにしたが、着いてみると、予想以上に人が多いのなんの、長蛇の列が門の前にできていた。

自分達のように友人同士で来た者もあれば、意外と多かったのがカップルで来ていた組で、やはり特殊で神聖な体験というものは2人の仲を近づけるのかもしれない(神前結婚式とか?)、とか考察してみる。

もし読者の方で該当する方がいれば、来年は是非どうぞ。

割りとオススメです。僕も頑張ります。


そして待つこと一時間強。これ並んだままハタチ迎えるんじゃないかと最悪のケースを想定したり、一年ぶりに高校同期と思わぬ再開をしたりするうちに、やっと三門内部に通された。
入るにあたって心得のようなものを書いた紙を渡される。
それを読みつつ、門の上に通された。

お坊さんの案内に従って二階の部屋に入ると、既に多くの、百人程の人がひしめき合って座っていた。

部屋の真ん中でお坊さんが大きな声で「なぁ~むぅ~あぁ~みぃ~だぁ~ぶぅ~(ナムアミダブツが1音ずつ伸ばされてツが若干省略された感じ)」と読経しつつ太鼓を叩いており、それに合わせて各々が木魚を叩き、念仏を唱えている。

自分も促されるままに目の前の木魚を叩く。意外とポクポクという良い音は上手く叩かないと出ないのだな、と感じた。

不謹慎な話ではあるが、最初はあまりに非日常な光景過ぎて、自分がそのシュールな光景の中にいることについ戸惑い、思わず笑ってしまった、とは言わないまでも笑みがこぼれてしまった。

しかし何故だろうか、念仏を唱え、木魚を叩いているうちにそんな笑みは消え、真剣に叩いている自分に気がついた。思うに、やはりこれは宗教の魔力というやつなのか。それとも、ライブに行った時と同様の場の一体感に引き込まれいてるのか。

確かに、全体で同じリズムで木魚を叩くことで荘厳な雰囲気が生まれ、またどこか安心するような一体感も生まれていく。

荘厳な雰囲気を醸し出していた要因の一つに、堂内の装飾の数々もあった。正面中央には大きな金色の仏像があり、その横にずらっと羅漢とおぼしき像が並んでいる。どれも写実的な肉付き、豊かな表情で、生き生きとしていた。

また、柱には鮮やかな模様が、天井には龍や天女の絵が描かれており、仏教徒という訳でもない自分でさえ、笙を吹いている天女と目が合う度に「ああ、これが極楽浄土か。」と考えた。

風雨にさらされていない分、昔からの絵や像が残っているので、100年前の人も、そして100年後の人も今の自分と同じ光景を見て木魚を叩くのかと思うと、妙に感傷的になった。


そうしているうちに午前0時が近づいてきた。私は相変わらず木魚を叩きつつ、生まれてからの自分の記憶を遡ろうとしていた。

その時思ったのだが、一番最初の記憶は、と問われると意外と答えられないものである。

私の場合は二歳くらいの、何かの本を読んでもらっていた記憶のような気がする。そこから今に至るまでの記憶を辿っていったのだが、やはり最近になればなるほど思い出し、普段では表に出てこないような思い出が甦るので、懐かしかった。

もっと思い出したくて、実家に帰ったら、アルバムを見ようと強く思った。



高校生の頃まで来たとき、遂に午前0時、20歳の瞬間が来た。当然ながら思ったよりあっさりと来たものの、とうとう成人になったんだな、と思うとやはり感慨深いものがあったし、これまでお世話になった友人や周りの大人、そして何より親への感謝の念が浮かんできた。


自分でも少し驚いたのだが、思い出の中でもやはり一番強く残っていたのは家族とのエピソードだった。


気付くと木魚を叩き始めてから二時間弱が経っていた。時計は午前1時に近づいていた。流石に友達をこれ以上付き合わせる訳にもいかず、私自信も急に足の痺れが来たのでそこで退散することにした。私の酔狂に付き合ってくれた友人には感謝するしかない。


以上が私のミッドナイト念仏体験である。行ってみると意外と居心地も良く、また家族や友人への感謝を抱く良い機会にもなった。

普段では自分の記憶をたどることも無いだろうし、たまにはこういう時間の過ごし方、20歳の迎え方も良いのではないだろうか。


いや、敢えて言わせてもらおう、これこそあらゆるハタチの誕生日迎え方の中でもっとも優れていると!


友達と?恋人と?その程度のシンクロ率でいいのか。過去、現在、未来と繋がる自分の内面と、それを取り巻く家族や友人といった人々と、更にはその場で木魚を叩く全ての人、いや、過去から未来の木魚奏者たち全てともシンクロすることができる。

20歳になる=大人にになるとは、社会と交わっていくことである。
その入り口として、この圧倒的な合一体験こそがふさわしい。

宗教は抜きにしても、もし読者の皆さんの周りで、似たような機会があれば、自分を見つめ直すべく行ってみることをオススメする。