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デスノートーーク第1弾「ライトの正義論」についてガチ議論してみた

2017/08/03 19:11 公開
profileあらきんぐ

中高生の時にデスノートを読んで胸がざわざわしませんでした?ライトがやっていることは正しいような、正しくないような…。今回はそんな胸のざわつきの正体を議論で突き詰めていきます。

はじめまして。サンロクマル編集部のあらきんぐです。

突然ですが、中学生くらいの頃にデスノートって漫画流行りませんでした?
僕の周りでは結構流行ってました。
知らない人はコチラ
ー天才高校生の夜神月(やがみらいと)はある日、名前を書かれたものが死に至る「デスノート」を拾う。月(ライト)は自らが信じる『正義』のもと、犯罪のない新世界を実現するため世界中の犯罪者の名をノートに書き殺害していく。それを阻止すべく、全世界の警察を動かせる謎の名探偵L(エル)が立ち上がる。互いの『正義』をかけ、月とL、二人の天才が熾烈な頭脳戦を繰り広げる。

極悪犯罪人や無期懲役の犯罪者、指名手配犯を殺していくことで抑止力を働かせ、犯罪を減らそうとするライトとそれを捕まえるエルの話。子供ながらにライトがやっていることは倫理的におかしいとおもいつつも
実際にライトの行為の、何が、どう、問題なのかはっきりせず、もやもやしていたのを覚えています。
そこで今回は、デスノート座談会と称して、倫理徒、法学に加え、工学、政治学を専攻する学生が集まって、「ライトの正義論とその実践」について話しあいました。
議論の焦点はライトの善悪の判断、つまり正義論とその実践についてです。

「ライトの正義論とその実践」

司会:あらきんぐ(工学徒)、B:倫理学徒、C:政治学徒、D:法学徒1、E:法学徒2

司会:正義論なので倫理学徒さんにお聞きしますが、どういう風に議論を進めたらいいとおもいますか
倫理学徒:漫画で描かれているライトの一連の行為は、かなり入り組んだものですので、一概に「善いか悪いか」を判断するのは難しいと思います。少なくともライトが目指している「新世界」のビジョン自体の是非と、それを実現するためにライトがした具体的な行為の善悪については区別して考えるべきでしょう。

そこで、デスノート殺人の目的が本当に望ましいものであったのかという問題を話し合った上で、その手段として実際に行われたデスノート殺人はどこまで許容できるのかを評価する、という順序で議論を進めてみるのはいかがでしょうか。
司会:つまり、「内的な目的」と「外的な手段」である行為は分けて評価してあげる必要があるということですね。「内的な目的」は、「戦争、犯罪をなくしたい」というビジョン。「外的な手段」は、デスノートによる殺人、ですね。
それではこの2つに切り分けて、それぞれを評価していきましょう!

PART1 ライトの内的な目的についての評価

司会:どんな切り口でもいいんですけど、何か意見あります?
倫理学徒:個人的にライトの考え方には反対です。人間を「生きるべき者」と「生きるべきでない者」の2種類に分け、「生きるべきでない者」、自分から見た「他者」を排除する。これは異質な他者との対話の可能性をはじめから考慮に入れていない発想です。

もし仮に、世界から自分にとって好ましくない性格の人が一人もいなくなったとしたら、たとえそれで戦争や犯罪がなくなったとしても、そんな世界は面白くないだろうと思います。
司会:個人的にすごく分かります。分かりあえない人がいるから、自分と違う人がいるから面白いとも言えますもんね。ただ、程度問題ではありますよね。現行の法でも、ルールを守らない人と守る人では線引きが行われているのも事実であり、その線引きをどこで行うかが重要な問題といえそうですね。
法学徒1:僕はむしろ犯罪をする、しないといった自由意思が奪われることが問題だと思っています。自分で理性的に考えた上で犯罪をしない、という選択を選ぶことに意味があると思うんです。
司会:強制ではなく、選択肢が用意されていることって大事ですよね。
政治学徒:なるほど。今の話で思い出したのはドストエフスキーが語った水晶宮の話です。彼は完全な合理的計算に基づいて管理された、理想社会を想定します。そこでは社会問題など存在しないのですが、自らの欲するままに行動する自由はないのです。
ドストエフスキーはそのように退屈した社会など堪えられないと言います。人は世の中から悪が無くなることを祈ります。しかし、悪をなし得る自由もなくなったならば、果たしてそれは幸せと言えるのか。このことは考えてもいいかも知れません。

議論で使用したホワイトボード

司会:おもしろいですね。映画「マイノリティレポート」で描かれている世界観とも似てますね。気になる人は見てください。
司会:みなさん、いろんな意見ありがとうございます。

いろんな話がでましたが、「戦争、犯罪をなくしたい」というビジョンについてはどう思いますか?
法学徒2:現行の法律でもそこを目指しており、完全に達成することができるかということを棚にあげれば、大きな方向性として、それは同意でいいのではないでしょうか。
むしろ、ここに反対だと、犯罪がある世の中のほうがいいということになりますし(笑)
一同:(笑)
司会:では、この目標を達成に向けて、どの程度のことまでするべきかということはさておき、大きくこの方向に社会が向かうことは賛成でいいですね?
それでは次の論点に移ります。

PART2 ライトの外的な手段についての評価

ライトの「内的な目的」ついては賛成という上で、そのような動機を抱いた時にライトのした「外的な手段」はどう評価できるのでしょうか。
司会:議論を円滑にするためにここでライトの外的な手段について整理しておきましょう。
[前提]
ライトの行った殺人は、犯罪者とライトの敵、の2種類。犯罪者には、未執行死刑囚、凶悪犯罪者(逮捕済み&not死刑)、凶悪犯罪者(未逮捕)3パターン。敵としては、ライトのデスノート殺人を妨害しようとする者。これらの者を殺すことで、戦争のない平和な世の中(新世界)を作ろうとしている。そして、実際にライトが登場してから、6年後、世界の犯罪の7割減少した。(引用:12巻page105「無理」)
司会:何か意見ありますか?
法学徒2:善悪の判断基準がライト一人に依っているのが問題だよね。現行の法などであれば、多くの人の意見によって作られ判断されたものだけど、ライトの場合、「自分が法」だから判断の正確性がどれだけ担保されているのかは気になる。
法学徒1:それに、その判断がかなり正確だったとしても、一人の人間に依拠することで、法の安定性の観点から継続性がないのもよくないよね。

司会:さすが、法学徒・・・。視点がおもしろいですね。
司会:さきほどの「内的な目的」でもあがりましたが、ライトの行為の程度についてはどう思いますか?もう少し突っ込むと、ライトが現れてから、実際に世界の犯罪が7割減少したとありますが、ここらへんも含めてどう思います?
倫理学:法学徒に聞きたいんですが、未執行の死刑囚を殺すことって法的にどう問題なんですか?
法学徒1:裁判で死刑宣告を食らっても、未執行であれば再審の権利があり、それが侵害されることが一番大きな問題だと思います。やはり冤罪の可能性がどこまでいっても拭えないので、死刑囚だからと言って、いつ殺しても構わないとはならないと思います。
司会:やっぱり死刑になった人の中には、冤罪の人がいる可能性はありますよね。。
そもそも死刑制度って国によってあったり、なかったりすると思うんですけど、死刑制度支持者の論拠はなんなんですか?
法学徒1:やはり、一番大きいのは抑止力ですね。犯罪を犯すと、死刑にされるかもしれない。だから、重大な犯罪を控えよう。といった力が働くと考えられています。
司会:なるほど。死刑制度の存在により抑止力が働き、新たな犯罪を抑えられる。そのためには、死刑宣告を受けた人の中に存在するであろう若干の冤罪者は致し方ないということなのか。一度死んだらその人の命は返ってこないのに。。
倫理学:この問題は死刑制度に限ったことではなくてですね。よく殺してしまったら、その命は二度と取り戻せないっていいますけど、じゃあ無期懲役の冤罪はどうなのかって話ですよね。命こそ奪われていないものの、時間や社会的信頼は二度と戻ってきません。
司会:考えさせられますね。
司会:この話をしていて思ったのですが、ライトは未執行の死刑囚だったり指名手配中の極悪人だったりを殺していますけど、これも冤罪と抑止力という観点でみれば死刑制度と同じように語れる気がしてきました。

ちょっと表にまとめてみました。
法学徒2:やっぱりライトの行為の問題点は冤罪率が高いことですよね。これは、一人で判断を行っていて、判断の正確性がない影響がここにも出ています。
倫理学徒:この表をみて思ったのですが、ライトの敵なども含むデスノート殺人の犠牲者や、デスノート殺人の与える社会的な不安・抑圧感といった「損失」と比較しても、抑止力という「メリット」がそれを上回ると考えるのであれば、少々強引ではありますが、ライトは全体の幸福の最大化を目指す「功利主義」者と言えるのかもしれません。
司会:その視点は面白いですね。倫理学っぽい。
倫理学徒:それに対して罰を与えるには厳密な手続きを踏むことを定める現状の法制度は、たとえそれで犯罪が減るとしても「罪なき人」(少なくとも死刑になるほどの罪は犯していない人)の命が奪われることは許されないとする「人権派」的な立場ですね。
司会:ふむふむ。他にこの表を見て何かありますか?
法学徒1:結局、冤罪率と抑止力の天秤の話に落ち着きそうですね。
月並みではありますが、やはり、ライトの行為はかなりの抑止力が見込めるとはいえ、冤罪率が高くやりすぎであった、と。
司会:ライトの冤罪率に入る値を「中」と仮置きしましたが、僕はここが味噌な気がします。ここの値は人によって変わると思います。ライトは全国模試で1位をとるくらい優秀で、そんな人の下す判断をどれくらい信用できるか
この国では、大学に入るまでは偏差値という尺度で測られることが多いので、もしかしたら、そんな価値観にどっぷりの高校生なんかは、偏差値という尺度で一番であるライトの判断はかなり正確で正しい、つまり、冤罪率小と考えるかもしれません。
ライトがやっていることは感覚的に明らかにおかしいのに、十分に否定しきれなかったのは、この国に蔓延する偏差値至上主義のせいなのかもしれませんね。

編集後記

初対面の人多くいる中、いろんなバックグラウンドの人が日曜の昼に集まって、議論した今回の座談会。
はっきり言って、楽しすぎました。

自分が想像もしない考えに触れ、知の水平線が広がる感覚。これぞ総合大学の良さ。専門のある人はやはり、かっこいい。同じ問題でも、分野が違えば、捉える角度や問題の切り分け方が変わるんですよね。

僕は理系の院生で、普段は、数学的に正しい・間違ってるの二元論的に捉えることが多く、その意味でデジタルな世界で生きています。しかし、法哲学、倫理学といった分野では、絶対的な正解が存在しないという前提で議論が始まり、限りなく○に近い△などが許される、アナログな世界でした。

どちらかに偏ったラジカルな人ではなく、デジタルとアナログの両方を行き来できる人間でありたいなと思いました。
ちなみに今回行われたデスノートーーク、なんと、第2弾あります。内容は「ライトの殺人は現行法で裁けるのか」です。お楽しみに。この記事を読んで、僕・私もこんな議論してみたい!という方は(kyodai360@gmail.com)までご連絡を。