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【小説家デビューした人がいる?】京大サッカー部の不思議な話【メンバー全員がコーチ?】

2017/04/24 21:04 公開
profile京都大学体育会サッカー部

京大サッカー部在籍中に、小説家デビューした人がいる?
京大サッカー部は全員が指導者でもある?
サッカー部はどこにでもある。でもこんなサッカー部は他にはありません。

はじめに

今から皆さんに読んでいただくのは、我々京都大学体育会サッカー部の記事であります。

曲者ぞろいの360°において、メジャーなスポーツであるサッカーの記事なんて、いまいちパンチがない? イヤイヤそりゃサッカーですからね。パンチは無理ですわ。

……確かに、京大が誇るアメフトやラクロス、ボートなどに比べると競技自体に目新しさはありませんね。読者の方の中には、サッカーやってたっていう方も多いのでしょう。
なので、この記事では、サッカーの魅力がああだこうだ、サッカー部のサッカーに対する取り組みがなんやかんやなんて、そんなありふれた内容は書きません!!
嘘です。
書くけど、そんなのばっかり書いても今更しょうがないので、京大サッカー部の知られざる不思議ポイントを暴露する構成にしていきます!
パンチはないのかもしれないけど、綺麗な回転のかかった美しい軌道を描くシュートをあなたのハートというゴールに打(以下省略)

1. 船頭多くして船、山をも踏破す

ーなんのこっちゃ。
京大サッカー部を皆さんに紹介する上で、その特徴として外せないのが、指導者がいないということです!… そんなこと聞いたら絶対思うでしょう。
ーそんなんでいけてんの??
まあ、聞いてください。とりあえず、そんなに睨まないでください。 まず、指導者がいないとはどういうことか…
それはすなわち、 試合に決めるメンバーを自分たちで決める。 試合の戦術を自分たちで決める。 練習メニューを自分たちで決める。 チームの運営方針を自分たちで決める。 自分たちで何をするかを自分たちで決める。
そういうことなのです。じゅくじゅくした核心部分でさえも呆れるほどに自分たちの決定が全てなのです。
ーだから、それでいけてんのかって聞いとんねん
まあまあ、落ち着いてください。あの、指をポキポキ鳴らさないでください。
顧問の先生、監督、コーチ、そういったいわば絶対神のような存在はこのチームには今も昔も存在していません。これから先、指導者を招聘するとしても、それは、自分たちで誰を招くか決め自分たちの決定をその人に委ねるという決定をするということになります。
とはいえ、僕らは学生です。たかだか20年くらいの人生経験と10数年のサッカー経験で、百戦錬磨の知将が率いる選りすぐりの精鋭のような選手たちを擁した他の大学の体育会サッカー部に太刀打ちできるはずがありません。
ーいてこますぞ、われ。話聞いとんか。そんなんあかんやんけ。
ちょっとほんとお願いします。聞いてください。あと、鞘から手離してください。
だから、知恵を出し合うのです。
部員の知恵を結集し、並み居る強豪に立ち向かっていくのです。そこに回生や性別は関係ありません。
考えて考えて、もう嫌になるくらい考えて、話し合って、本気で部員同士がぶつかり合うのです。
そんな知恵を結集しやすくするべく、僕たちは部署を置く運営システムを採用することにしています。この方式は各分野で専門性の高い議論ができるだけではなく、ノウハウを蓄積し後世に伝えていくのにも一役買っています。

首脳陣を筆頭として、様々な活動をこなす我が部には色とりどりの部署があり、それぞれの部署を細かく説明したいところですが、日が暮れて、さらには夜も更けてしまうのでそれはまた別の機会にすることにするとして。

その全ての活動は関西学生リーグで勝つという絶対的な目標達成への道のりに帰結します。部員一人一人がその目標に向かって活動するのです。
そうして初めて、勝利だの優勝だの革新だの、そういうそびえ立つ山の頂に到達できるのです。
言うなれば、全員が指導者なのかもしれません。
ーなんや、それを先に言わんかい
そう、つまり、「船頭多くして船、山をも踏破す」なのです。

2. そっかー、サッカーやってた作家さんなんだねぇ

そんなチームを構成する部員は皆それぞれ個性的で面白い人たちです。いろんなことに挑戦しています。

ある者は一発ギャグの可能性を追い求め、ある者は深淵に覗かれ、あるものは手品の世界にのめり込み、またある者はスケボーで街中を颯爽と駆け抜けています。
その中でも抜群に異彩を放っているのが、この人、畠山丑雄先生です。

出典:www.kawade.co.jp

畠山さんのデビュー作「地の底の記憶」

サッカー部在籍中に執筆した小説「地の底の記憶」で文藝賞を受賞し、見事に作家デビューを飾ったツワモノです。この記事を書くにあたり、そんなインプレッシブな先生にインタビューせずにはいられませんでした。

ーいつ、なぜ、小説を書き始めたのですか?
小説を書き始めたのは大学からです。理由はあまり覚えてませんが、文学部に入ったので文学部らしいことをしてみようと思ったのかもしれません。

一回生の頃からサッカー以外は本を読むか小説を書いてばかりいた気がします。
幸い勉強の甲斐あって二年前に文藝賞をという賞をとってデビューすることができました。
サッカーと小説に夢中になっていたので単位は取り損ねてしまいましたが。
ー小説とサッカー共通点ってありますか?
腰が痛くなることです。小説を書くときもサッカーをするときも姿勢がよくないので、それで腰にくるみたいです。

こないだ読んだ本で、腰痛の根本的な原因は人類が直立二足歩行を始めたことにあると書いてあったんですが、今更そんなことを言われても困りますよね。まさか明日から四足歩行に戻すわけにもいかないですし。
ー京大でサッカーをする意義ってなんなのでしょう
 個人的にはどこでサッカーをするかは、あまり重要なことではないと思います。
レアルのトップチームでやろうと、京大のCチームでやろうと、結局は自分がどれだけベストを尽くせるかです。

サッカーは一生懸命やっても結果が出るわけではありませんが、一生懸命やればどんな環境でもわりに楽しくなってきます。
ー新入生に一言お願いします。
部活に入っていてもやりたいことはできると思います。

いろいろなことに夢中になると留年が怖いですが、これも考えようです。
留年すると、当たり前ですが時間にゆとりが生まれます。
時間があると思索をしたり、本を読むことが多くなるので視野も広がります。
泰然自若とした態度が身につき、折に触れて祈りや感謝が口をついて出るようになります。

物事には何でも明るい面と暗い面があるものです。留年ぐらいでくよくよしてはいけません。
(ちなみに、先生はサッカー部OBではあるものの、京都大学OBという称号は未だ手にしておりません。細かい計算はしないこと。)
※サッカー部と留年には、一切関連性はありません。

3. 馬鹿の一つ覚え

これまたなんのこっちゃですね。 まあ、聞いてください。
サッカーというスポーツは、日本では、いや世界を見渡してみても、ほとんどの人がそのルールさえも知っているほどメジャーなスポーツです。
難しいルールなんてオフサイドくらいなもんで、キーパーだけ手が使えることとか、ボールがコートの外に出たら手で投げ入れるのとかもややこしいっちゃややこしいですが、これらは言うなれば味にアクセントをつけるスパイスのようなものです。
基本となってくるルールは、手を使わずにゴールにボールを入れた回数の多い方が勝ち。
なんて分かりやすいんだろう。例えるならば、味のベースはだし汁としょうゆ、あと酒とみりんだけです的な。シンプルですよね。
豚の生姜焼きにしろ、ブリの照り焼きにしろ、カレイの煮付けにしろ、美味しい料理のベースは意外にあっさりとしていて単純なのです。
ここで、言いたいのは、そこに、すなわちそのシンプルさに深みが出る、ということなのです。
日本でもその美味しさが人気を博し、何百万人もの人が日々サッカーに舌鼓を打っています。
ところがどうでしょう、大学サッカーの人気はそこまで高くありません。
去年のインカレで日本一に輝いた大学、あるいは関西学生リーグを制した大学は?
と聞かれ、ぱっと思いつきますか?
それぞれ筑波大と阪南大なんですけど、どうですか?ふーんって感じですよね。大学サッカー自体のレベルは低い訳ではないんですけどね。

なのに、全国大会でもスタンドが満員になることはほとんどありません。
高校年代の方がクローズアップされがちです。

悲しいかな、それが大学サッカーの現状なのです。
さらに言うと、プロになれるのは一握りの選手に限られます。
そう考えると大学年代の若者にとって注目もされにくく将来なんの役に立つかわからない。
そんなサッカーを真剣にやるのは馬鹿なのかもしれません。
加えて、僕たちは京大生です。各分野でレベルの高い研究も行われ、留学の制度もバッチリ揃っていて、勉学に勤しみ学問を追究するにはこの上ない環境が整っています。

また、カレッジスポーツが強く盛んで、サークル活動も様々に魅力的です。
そうでなくても、由緒ある寺社仏閣がそこかしこに構え、きらびやかな繁華街が手をこちらに拱いています。
それらと上手く付き合いながらも、ほぼ毎日グラウンドに通ってサッカーするって一体なんなんでしょう、やはり馬鹿なのかもしれません。青春をサッカーに捧げるなんて。何かに踊らされてるとしか思えません。
それーでもそれでーも
出ました。バックナンバーの他の曲とは一線を画した名曲「青い春」のサビ部分。
そうです。それでも、たとえ馬鹿の一つ覚えと言われても辞められないんです。
先ほど紹介した、作家畠山丑雄先生が現役時代に書かれた新歓ビラのキャッチコピーにこんなのがあります。

ー京大にまで行ってサッカーをするのは馬鹿だ、と誰かが言った。馬鹿は意外と多いらしいとグラウンドに来て知った
なんてスタイリッシュでかつ、それでいて静かにセンセーショナルな文なんでしょうか。
これが全てを語っています。
意外に僕らはサッカーをまだ知らないのです。
先ほど、深みがあるとかなんとか書きましたが、
何人もの人間が十数年やっていても誰1人として全然極まらない。
それだけの奥行きがサッカーにはあるらしいのです。
意外にまだまだ上手くなれるのです。
頑張って頑張って練習して、それを味方だけでなく相手チームもやっている、
そんな真剣勝負の場がまだあるんです。
意外に、でもやっぱり、楽しいのです。感動するのです。
この歳になっても熱いムーブメントの渦に身を投じることができるのです。
嬉しくて隣のやつと抱き合い、肩を組んで涙を流すことができるのです。
そんな我々の熱を少しでも感じていただいたら、記事を書かせてもらった僕としてはそれ以上の幸せはありません。

4. 最後に

先日行われた京都府の大学No.1を決める大会、京都選手権にて、我々京都大学は、龍谷大学や同志社大学といった格上を下し、見事3位入賞を果たしました。
3位決定戦。濃青のユニフォームを身にまとった選手たちは美しい西京極のピッチを縦横無尽に駆け回り、最後、PK戦へともつれ込んだ長い長い激闘に終止符を打ったその瞬間はとても印象的でありました。

我々が為してきたひとつひとつの決断がそれほど間違ったものではなかったという安堵感と、全ての準備が報われた興奮が体の中を駆け巡りました。

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だ、それは、開幕がついそこまで迫っている関西学生リーグにおける勝利を約束するものではありません。ここまでやればこれだけの結果が手に入る、あくまでそんな可能性があるということがわかっただけです。
これからの日々もまた、決断と準備の連続です。そこに情熱を注ぎ込むのです。
もし、新入生でこの記事を読んでくれている人がいたら、一度農学部グラウンドに足を運んでみてください。そして、その熱を肌で感じてください。

別に、サッカー部に入ることが大学生活における絶対的な正義だとは部員である僕自身も思っていません。

サークルやバイトに精を出そうが、カレッジスポーツに汗を流そうが、ずっと続けてきた競技や趣味と心中しようが、はたまた何もせず都大路を彷徨おうが、そのどれもが魅力的です。

何が正義かなんて世界中の誰が知っているというのでしょう。
ぜひいろんなことをやってみて大学生である時間をどう使うかを考えてみてください。
無数の選択肢の中の1つにサッカー部もある、ただそれだけのことです。
行けばわかるさと誰かが言っていた、それもそうだなと確かに思った。
これはレミオロメンの隠れた名曲、「翼」の一節です。
路頭に迷ったらやってみてください。この言葉の意味がよくわかります。